川 越 気 分

Kawagoe_Kibun

川越 東明寺

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氷川神社の裏、新河岸川に架かる氷川橋を渡り川沿いに歩くこと約10分、ポプラの木を過ぎてから一番街通りに戻ろうとした時、「東明寺」が目に留まりました。昨年、友人とランチした際、「この先に河越夜戦で知られる東明寺がある」と聞いていたことを思い出しました。競馬と歴史をこよなく愛する友人から日本三大奇襲(日本三大夜戦)の一つ「河越夜戦」(かわごえよいくさ)の激戦地が東明寺境内だということことから始まる話も聞いていたのです

川越市役所から約300mでさいたま地方裁判所があり、その裏側の住宅街に位置します。「ひっそり」という言葉が合う寺院です

河越夜戦跡の碑です。河越夜戦は16世紀、その当時の寺院は相当広かったとのこと、激戦地だっただけに多くの戦死者がでた場所ということになります。河越夜戦は「東明寺口合戦」とも呼ばれています

昼間なのに人けが全くなかったことと、激戦地だったという思いもあり、何とも言い難い静寂の時間を味わいました。寺院そのものも本当に歴史を感じさせてくれます

ひっそりとした雰囲気の中、門からみえた大銀杏からは険しさを感じました。かなりの大木です

東明寺は13世紀に一遍上人開基の時宗の古刹。稲荷山称名院東明寺。本尊は虚空蔵菩薩

埼玉県川越市志多町13-1

河越夜戦とは
河越城の戦い(かわごえじょうのたたかい)は、戦国時代に、武蔵国の枢要な城であった河越城の争奪を巡って、河越城周辺で争われた一連の戦いをいう。北条早雲の嫡男、後北条氏の2代目当主北条氏綱武蔵国征服のため、武蔵国を支配していた上杉氏の居城・河越城に侵攻、1524年(大永4年)から4度にわたる争奪戦が展開された。「河越城の戦い」で特に有名なのが、関東の政局を決定した大きな戦いとなった5度目の天文15年(1546年)の戦いで、日本三大奇襲(日本三大夜戦)の一つ「河越夜戦」(かわごえよいくさ)である。本稿では河越夜戦について詳述する。河越夜戦は、北条氏康軍と上杉憲政・上杉朝定・足利晴氏の3者連合軍が武蔵国河越城(現在の埼玉県川越市)の付近で戦闘し、北条軍が勝利を収めた戦いである。